シンゴジラは音楽を武器にした:伊福部昭の「近さ」vs鷺巣詩郎の「遠さ」
伊福部昭さんはもうお亡くなりになっているので、音楽を担当するのは別の方だ。
でも、伊福部さんの音がないゴジラはあり得ない。
ゴジラを見たことないのに、私はそう断言し、
「伊福部さんの音楽はどう使われるんだろう?」
と楽しみに映画館へ向かいました。
庵野監督と伊福部さんをつなぐ「鷺巣詩郎さん」
シン・ゴジラの音楽を担当されたのは鷺巣詩郎(さぎすしろう)さんです。
監督の庵野秀明(あんのひであき)さんと数々の映画でお仕事をして四半世紀。
「新世紀エヴァンゲリオン」シリーズの音楽を手掛ける方です。
そして、彼は幼少の頃より伊福部昭の音楽に親しみがあったようです。
伊福部vs鷺巣詩郎。距離感の違いが「切なさ」の深みを生む
シン・ゴジラはそんな鷺巣詩郎さんと伊福部昭さんの音楽の立場の違いが目立ちました。
伊福部昭さんも鷺巣詩郎さんも世界観を表出する作曲家です。その音を聞けば「あ! あの人だ!」と分かる作曲家です。
そんな2人がそれぞれに「切なさ」を描く。
けれども、2人の音は似通いません。
伊福部昭さんは「近さ」を突き詰めているのに対し、鷺巣詩郎さんは「遠さ」を上手く使っていて好対照なのです。
生物の動作を連想させる伊福部昭さんの音楽
伊福部昭さんの近さとは、どこまでも現実を捉えようとするところに宿っています。泥臭い、肉体的な音が鳴ります。
音楽が生物の動作を想起させる作りをしています。
人間を超越した存在を連想させる鷺巣詩郎さんの音楽
対する鷺巣詩郎さんの遠さとは、ほんのちょっとだけ現実とズレようとするところに宿っています。
友達の言葉を借りるなら〈神秘と幻想と悲愴と優美と狂気がぐっちゃぐちゃに混ざった感じ〉。超越的な、少し歪な美しさがあります。
その音楽は人間の動きではなく、人間を超越した存在を連想させます。
同じものを別の視点から描くから深みがでる
物事を描き出すとき、一つの視点だけよりも複数の視点を持ったほうが立体的に浮かび上がってくるように、世界観を打ち出せる2人の作曲家によって「切なさ」に深みが出たように思います。
それは、シン・ゴジラのキャッチコピー「現実VS虚構」の構造とも一致します。
伊福部昭さんの音楽により客席を現実に染め上げ、
ただし、その現実と虚構のズレは少しだけ。
現実にいながら虚構のような絶大な力を前にする、
ゴジラに立ち向かう人間たちのあり方に非常にマッチした音楽でした。