コミュ力は作れる:一本締めができるなら大丈夫。会話に「間」を取り入れてみよう
日本人は、間を大切にする文化を持っています。
伝統芸能然り、建築美術然り、そして生活も色濃く影響されています。
「よーーっ、ポン!」と打つ手が揃うのは奇跡的な一致
例えば、宴会の締めでなどで用いられる一本締め。
誰かが両手を上にした状態で「よーーっ、」と言えば、
参加者は一斉に「ポン!」と手を叩くことができます。
日本人はこれを当たり前のものとしていますが、これは日本以外の文化で育った方からしてみると奇跡的な一致です。
だって、「よーー」くらいの人もいれば「よ~~~~っ!」っと言う人もいる。長さや調子が厳格に決まっているわけではないのです。
だから「ポン!」にも定量的な決まりはありません。「よーー」の2秒後に手を叩く、「よーー」の1/4の長さだけ待ったら手を叩くなどと決まりがあるわけではないのです。
ただなんとなく「ここだろう」というところがある。
不安になることもなく、酔っ払っていたとしても「ポン!」と手を打てる。
なんとなく「よーー」と打ち上げられたものを捕まえるような感覚で「ポン!」と手を打てる。
このことからも、日本人は「間」の感覚を大切にしているし、生活の中で「間」に対する感覚を磨いているといえるでしょう。
会話はキャッチボール。受け止めることが共感を生む
ところで、「会話はキャッチボール」といわれるのをご存知ですか?
私はこれは言い得て妙だと思うのです。
キャッチボールとは、ボールの投げ合いのことです。
なのに、「スロー(=投げる)」ではなく「キャッチ(=掴む)」が取り沙汰されています。
一方「会話」は、合って「話す」という字面です。
そして、つい「どう話そう?」というふうに考えてしまいがちです。
しかし、キャッチボールと同じように「受け止める」方へ意識を向けることが肝心です。
この「受け止める時間」、つまり「間」があることで、場に共感が生まれるのです。
「間」は聞き耳を立てる人へは多くを物語る
間はお相手の反応を伺う時間なのです。
ちょっと事務的な言い方をすれば、お相手の理解度を確かめることができます。
お相手の相槌のテンポが良かったり、ゆったりした表情をされているなら、今のお話はお相手にとって調度よい内容だということでしょう。
しかし、お相手の相槌がゆったりしたり、表情に不安や力みが見られたら、お相手は今のお話を理解しづらいと思っているかもしれません。
その場合は、お話のスピードを落としたり、今お話した内容を言葉を変えてもう一度お話する必要があるかもしれません。
話し手にとっての「間」は、一瞬でお相手の情報がさまざまにキャッチできる大切な時間です。
そしてその情報から、次のお話の持って行き方を選びなおす時間でもあります。
ここで、前回の記事の内容に立ち返りましょう。
お話するときには「感情の交換」と「意味の交換」の2つを行っているということです。
間は、共感を生むことから「感情の交換」へ、そしてお相手の理解度を確かめ、それによって次の自分の一手に影響をあたえることから「意味の交換」へも作用します。
この2つをもってその場を好循環が起こるようあたためるのが「間」の作用なのです。
どの時代も「間」を恐れる人は一定数いる
しかし、「間」はそれだけ大きな力を持っているだけあって、ときに恐れられもします。
「私って~、たしかにきれい好きだけどー、めんどくさがりじゃん?」
「私的には~、これってー、この色が特徴的だと思うんだよね―」
こうして語尾を伸ばしたり、「私」と言い切ることを避けたり、あいまいな言葉を積極的に選択するのは、「間」を恐れてのことなのではないかと思います。
こういう「間」を恐れた言葉は昔の言葉にも見られます。
たとえば、「私め」。こちらも「わたくし」と言い切ることをためらった言葉といえると思います。
「間」は力まなければ大丈夫。一本締め、できるでしょ?
しかし、こうしてみんなが間を上手に使えるわけではないからこそ、「間」を効果的に用いる人が一目置かれます。
ここぞという言葉の前でたっぷり時間を空ける人
軽いツッコミを入れる前に、表情や身体をちょっと動かす人
部下から意見を受けて、しばしジッと考えこむ上司
どの方も「間」を効果的に使っている方です。
最初からここを目指すのはちょっとむずかしいです。
ここまで「間」を効果的に使うには、自分に注目が集まることに鍛えられていなくては耐えられないからです。
けれど、テンポ良いキャッチボール(=会話)のための「間」は意識を向ければすぐに取り入れることができます。
日本人は一本締めができるんですから。