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『君の名は。』を見て、『シン・ゴジラ』の理解モードと好対照に共感モードだなって

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新海誠監督作品『君の名は。』見ました。

画が美しさがすごくて、すれ違いが切なかったです。


あなたの感想、分析的でしたか? 感情的でしたか?

人が何かを見るときの受け取り方をすごくシンプルに2分しろと迫られたら、私は「理解」と「共感」だと答えます。

 

 

「理解」とは、伝えられたことを頭の中に再現し、整合性を検証しながら受け取るようなモードのこと。

これで『君の名は。』の感想を述べるなら、「ストーリーにちょっと整合性取れないところあったよね。でもそれもセカイ系らしくて私は好きだった」って分析的なかんじ。

 

「共感」とは、伝えられたことの印象を心に積み重ねて、追体験しながら受け取るようなモードのこと。

これで『君の名は。』の感想を述べるなら「途中すんごくハラハラして切なくなったけど、さいごむちゃカタルシスかんじた!」って感情的な言葉が出てくるかんじ。

 

「理解」と「共感」の割合

モードに根本的な優劣はないと思いますし、1つのモードで受け取るというわけではなく、2つのモードを交互に用いながら受け取るという類のものだと思います。

 

そして、その割合はTPOに寄るとしかいえないでしょう。

 


ただ、


「理解モード」は自発的決断や継続的行動と結びつきやすく

「共感モード」は印象の鋭さや瞬発的行動と結びつきやすい

 

のではないかと思います。

 

 

そんな2つのモードを上手く扱ったのがこちら。

togetter.com

 

とある水族館のニジマスの解説版です。

左側には若者言葉を使ってキャッチーにやりとりをしているLINE画面があり、その関係性を印象付けます。

俺って外来種らしいんだけど知ってた?

は?マジ?www

俺の兄弟食ったのお前かよ

絶許

 

画像が切れてて全ては見えませんが右側には通常の解説文がある様子。

左側の「共感モード」で歩く人のコンタクトを得る。パッと読み切って満足してそのまま立ち去る人もいるでしょうが、その意図が知りたくて右側の「理解モード」に視線を移す人もいるでしょう。しかも「共感モード」がしっかり趣旨を押さえているから、目的意識を持って通常の解説文に対峙する。

愛嬌すら感じるキャッチーな伝え方にして、読み手のモードを操る巧みな解説板だなと思います。

 


そして、このように受け手がどちらのモードになるかは、ある程度は伝え手がコントロールできるものです。

もとろん受け手のもともとの素養や習慣も関係しますが、論理的に伝えれば理解モードになりやすいし、物語的に伝えれば共感モードになりやすいものなのです。


君の名は。』は「共感」

さて、ここで新海誠監督作品『君の名は。』に戻りましょう。

 

この映画は思いっきり「共感」に寄っています。

ストーリーに分かりにくいところがあっても、世界設定に見えない部分があっても、表現に誇張している部分があってもそれほどは気になりません。

それは私が、ほとんどの時間を「理解モード」ではなく「共感モード」で見たからでしょう。

 

「理解モード」が優位に出がちな私が、なぜ「共感モード」で居続けられたのか。

その訳は「画」です。

 

空の美しさはもちろんすごいけど、ビルってこんなに美しく描けるものなの!?
わ、このiPhoneリアル!
ラジオの画、一瞬実写かと思ったわ!
人の動きも自然だわー。
巫女の舞までなめらかっ!ちゃんと血が通った人間の動きしてるわ。美しっ!

 

そう。もう、画が美しすぎてトキメキすぎて。しかもその美しさにうまく緩急がつけられているから何度も美しさに感動し直す瞬間が訪れます。そのたびに「共感モード」のスイッチが刺激されるのです。

 

 

このキャラ何でこの行動を選択したんだ!? と思っても、

そのあと空が映って「わー空美しすぎでしょ」と感動しているうちにストーリーは進んで、その前の疑問は流れてしまう。

 

そんなふうにして、長い間「理解モード」にはなることはありませんでした。「画」のために。

 

 


これがもし、テレビアニメ的な描くべきところと省略すべきところを明確にした画だったら、私は楽しめなかったかもしれません。

「画」への感動がここまで深くなく「理解モード」が働く時間が長くて、伏線を意識してストーリーの分析を行いながら視聴したでしょう。

けれど、新海誠監督作品は(というよりも、セカイ系は)一度で世界設定が理解できる作りではありません。ストーリーに取り残されたように感じ、見疲れしてしまったかもしれません。「画」が違ったら。

 


「画」の力の凄まじさを身をもって感じました。


シン・ゴジラ』は「理解」だった

対照的に「理解モード」が優位に働いたのが庵野秀明監督作品『シン・ゴジラ』。

作中人物の多くの行動に対して、これが現実に起こっても日本や日本人はこういう行動をするのか? という視点を意識して作られているし、見る方もそれを意識せざるを得ません。

 

 

モードが違うから「震災」の描き方も違う

この「理解モード」か「共感モード」かの違いは、表現の方向性にも現れています。

 

君の名は。』と『シン・ゴジラ』は、アニメと実写で表現方法は違うとはいえ、どちらも現実を舞台としたファンタジー。かつ「震災」を扱います。

 

その描き方が対照的です。

どちらも痛みを伴った演出であることを前提とした上で、

 

君の名は。』は「震災」を非常な美しさで描き

シン・ゴジラ』は「震災」を徹底して現実的に描きました。

 


それは「理解モード」では現実と接しているその密着感が力を持ち、「共感モード」では現実から数ミリ浮いたその距離感が力を持つからと言い換えられるのではないでしょうか。