ゼロからさきへ

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おかえりなさい「無敵モード」。7年半ぶりに歌うのが楽しかった

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先月、300人の方の前で歌う機会がありました。

声楽家2人で1時間のコンサートです。

 

 

昔の私なら、その機会を喜ぶと同時に恐れていたでしょう。

大学生の頃、私は「歌うの好き! 大好き!」という気持ちと同時に「どうせ失敗するんだ! 歌うの怖い!」という気持ちを持っていましたから。

 

それが、今回むっっっちゃ楽しかったのです。

 

 

「無敵モード」7年半ぶりの帰宅

歌いたいように歌い、お客さんの反応をきちんと受け止め反応を返すことができました。突発発生したトーク以外は……。

 

ほんとに楽しかった。

緊張も、それを声の震えや足のすくみなど不必要な力みとするなら、ありませんでした。


久しぶりの、「無敵モード」の到来でした。

 

それは、体温が少し高くなって、空気を感じ取る第六感みたいなものがいつもより敏感になって、少し体感時間が遅くなるような、ハイなのにとても落ち着いた感覚です。戦闘準備万端な状態です。

 


高校の頃は当たり前だったこの感覚。
一度失って、取り戻すまで7年半。

 

やっと帰ってきてくれました。

 

 

「無敵モード」の発動ができないことを受け入れられなかった頃

心理学で「フロー」と呼ばれる、この「無敵モード」の発動ができなくなってしばらくはただ混乱していました。

 

当たり前に基本装備だと思っていたスキルが、実は特定の条件下でしか発動しない必殺技だったのです。しかも、基本装備だと思っていたためその「条件」には詳しくありません。経験値ゼロです。

身近なものだと思っていたのに、私は「無敵モード」のことを何も知らなかったのです。 

 

いろんな意味で拙かった私は、ひたすら過去の栄光を思い描いて「今度こそ!」→「やっぱ、ダメだった」と闇雲に挑戦を重ねました。

 

それは失敗体験のループ。

 

そのうちに、「無敵モード」って幻想だったんじゃないかとまで思うようになりました。

 

 

付け焼き刃なんていらない。私自身に力が欲しい

そうして長い長い失敗ばかりを重ねた時期を過ぎ、過去の栄光を追うことはなくなりました。

 

「無敵モード」がなくなって 4年ほど経って、「基礎力向上しよう」と思い立ちました。

特定の条件下でしか発動しない付け焼き刃ではなく、いつどんなときも発揮できる力が欲しかったのです。

だから、音楽の基本を徹底的にこだわりました。繰り返し泥臭く妥協なく練習しました。練習方法にこだわり、決めた方法を何度も繰り返しました。どんな状況でも崩れたり揺らいだりしない強度が欲しかったのです。

 

その後、「基本装備を増やす」という項目が加わりました。当たり前に、無意識にできることをひとつづつ増やしていきました。

卵の殻を割れることや、りんごの皮むきができること、PCのブラインドタッチができることと同じように、泥臭さの繰り返しの末に得る「習慣化」です。

 

 この質と量のアプローチを深めていくに従って、「無敵モード」があったということが頭にも浮かばなくなりました。

 

 

どんな難しそうなことも習慣化すれば基本装備になる

そんな中、いきなり「無敵モード」が帰ってきたのです。

とても嬉しかったです。

 

帰ってきたことが純粋に嬉しかったですが、次いで「発動条件を分析できる!」という喜びも湧き上がりました。

 

 

この数年、「基本装備を増やす」ことに取り組んだ私は、

「最初は難しいと思ったことも習慣化すれば基本装備にできる」という学びを得ているのですから。 

 

しかも、その発動条件はそんなに難しくないことのように思えました。

というより、私の基本装備が整ったからこそ「無敵モード」が発動したように思えたのです。

 

その条件とは、おそらく「イメージ力と技術力がトントンであること」です。

 

 

「無敵モード」は、できないはずのことができるようになることじゃなかった

「無敵モード」に入ると自分が広がる感覚があります。体温が少し上がっているんだけど、芯はすごく冷静に周りを見回している感覚です。できることが広がる感覚です。「無敵モード」を失った直後の私はここにばかり注目していました。

けれど、前提として「区切られている」ということがあったように思います。歌うことは何かしらのイメージを具現化する作業ですが、そのイメージが実現可能な範疇に置かれていることです。

 

できないことまでできるようになることが「無敵モード」なのではなく、

できることの範囲内でベストのベストが出せるのが「無敵モード」だったのです。

 

 

たぶん、高校生の頃の私はイメージ力と技術力がトントンだったから「無敵モード」が発動したのです。

 

しかし、大学生になってさまざまなことを知った私は、技術力より先に理想像の方が成長してしまった。見境なく、当時の私の技術力では不可能なことまでイメージに組み込んだためにトントンが崩れて、「無敵モード」が発動しなくなってしまったのです。

 

なんて節操なしだったんでしょう。

 

 

「無敵モード」で冴え渡るのはバランス感覚

「無敵モード」に入れたかどうかで何が変わるのか。

それは、バランス感覚のようです。

 

イメージを実現するためには、瞬時に分析して必要な技術を洗い出し、それを即時に身体が実行し、そして実行しながらバランスを調整することが必要です。

 

 「無敵モード」で冴え渡るのはおそらくこの最後のバランスを調整する工程なのです。

 

「無敵モード」にある広がる感覚は、組み合わせの選択肢の多さに起因するものだったのです。