小学生に渡されたプロフィールシートの趣味欄にガチで挑んだ記録
今日、小学生に「ねえ、プロフィールシート書いて!」と言われました。
「えー、書くことないよー。めんどー」と言いつつも取り組みはじめたら、「趣味をなんと公言するか」を考えるのにのめり込んでしまいました。
履歴書の「趣味・特技」欄が好きだった
私は、比較的履歴書が好きな人間です。
見るのも好きです。
履歴書はその人の佇まいが表れています。
書くのも好きです。
その機会ごとに自分の変化に気付かされます。
その中でも一番好きなのが「趣味・特技」欄。
学歴・経歴・資格は事実を書けばいい。
志望動機は過去の経験とそこでの業務の重なるところを書けばいい。
それに対して「趣味・特技」欄は自由度が高く、表現の考えがいがあります。
かつ、もともと「趣味をなんと公言するか」を考えるのが好きでした。
ずっと「好奇心を満たすこと」って言い続けてた
そんな私が6年間くらい使い続けたフレーズがあります。
それは、「趣味は好奇心を満たすこと」です。
1年半くらいに書いた履歴書の下書きと思しきメモが携帯に残っていました。
〈趣味〉
好奇心を満たすこと。習い事をしたり読書をするなどしています。習い事は日本語音声学、解剖学、プロトコール・マナーなど。読書は、昨年1年間で140冊読了しました。
履歴書でもプライベートでもずっとこれを趣味に掲げていました。
口にするたびに・思い浮かべるたびに「ああ、これだな」って思いが深くなる。慣れ親しんでも鮮度は失われませんでした。
いつのまにか納得感のキラキラがなくなっていた
しかし、今日、改めて趣味を考えてみたときに、「好奇心を満たすこと」にあったはずの納得感のキラキラは失われていました。
ふむ、私は「好奇心を満たすこと」へのこだわりはなくなったらしい。
思い返せば、これだろうと思うきっかけはあります。
それは、数ヶ月前に読んだチップ・ハース著の『アイデアのちから』の一文です。
「好奇心が快適なら、それを解消しようとするはずがない」
この思想に触れた時、私が長年自分の趣味だとうたってきた「好奇心を満たすこと」という表現は、遠回りな表現で本質をダイレクトに突いてはいないなと思ったのです。
私が好きなのは「欲求が満たされた感じ」「もやもやが消えた感じ」ではなく、「それを得たことによって次に広がる感じ」「見方が変わったことによって世界がアップグレードされたように思う感じ」です。だから、「好奇心」をカギにこの気持を言葉に起こすのはちょっとズレているかもしれないと。
ズレていると気づいてしまったので、私は新しい言葉を探さなくてはならなくなりました。
これからは、「趣味は思索」でいこう
好きなことをちょっと切り口を変えて、具体性を高めて言い直してみました。
1. 物事に自分なりの視点を当ててみるのが好き。
2. そして何らかの形に言語化して整理すると、心と脳がスッキリする感じが好き。
3. そのスッキリしたところにワクワク感が流れ込んでくる感じが好き。
これってやはりカギは「好奇心」ではありません。
「好奇心を満たすこと」が該当するのは2の部分に留まります。
では、3つ全てに共通するのは……? と考えて、私は「思索」という言葉に思い当たりました。
うん。いい響き。
「好奇心」がどちらかというと受け身な響きを持つのに対し、「思索」には自主的な気風を帯びているところも気に入りました。
そして履歴書の「趣味・特技」欄風に書いてみても、今行っていることとの間に整合性が取れてて納得感があります。
〈趣味〉
思索。日々の学びをもとに自分なりの視点で物事を切り取ること。
現在、学びは習い事・年100冊の読書など、アウトプットはブログや電子書籍の執筆・演奏会の主催などを行っています。
これだ。
しかし、与えられたスペースは10文字程度
しかし、こうして、小学生に「ねー、まだー?? 悩み過ぎじゃないー?」と再三の催促をされつつたどり着いた言葉は、どう考えても小学生に提出するプロフィールシートにそぐうものではありませんでした。
だって、「思索」って彼女たちにとって身近な言葉じゃないしね。
しかも、スペースは10文字くらいしかないから補足部分も書けないしね。
とは思いつつ、この感動を歪めることはできなくて、私はただ
思索
と、小学生に渡されたプロフィールシートの趣味欄に記載しました。