ゼロからさきへ

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遠く高いゴールだけを見たいから、基礎力を磨く

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 私にとって、春はアンサンブルの季節です。

毎年アンサンブルを企画して『東京 春のコーラスコンテスト』というアンサンブルコンテストに出場しています。

 

今年で早5年目。

今や、年度の終わりにこの1年の自身の成長度を測る機会となりました。

 

 

決起からコンクールまで、毎年、何かしらの目標立てをして突き進んでいきます。

 

2年目は「基礎力向上」

4年目は「ただ楽しむ」

5年目は「ちょうど一人分歌うこと」

 

などなど、自分やメンバーの練習の指針になる言葉を用意するようにしています。

練習できる時間は限られていて、何もかもを欲張ることはできないから。

 

 

こうして毎年アプローチは変わりますが、いつも大切にしている理想像は高校生の頃からずっと変わりません。

 

・基礎力が磨かれていること

・見せるものすべてに気を使うこと

 

です。

 

 

遠く高いゴールだけを見たいから、基礎力を磨く

アンサンブルや合唱に限らず物事はなんでもそうかもしれませんが、「今」を追いかけると付け焼刃的な選択をしがちになってしまいます。

 

次の本番にとにかく間に合わせたいから、1000本ノックのようにして取り敢えず歌えるようにする。

先生に「そこの音はもうちょっと高く!」「そこの母音はもうちょっと狭く!」と言われて、言われるままに「それ!」と言われるまで体に染み込ませる。

 

これは、その物事と短い期間浅く付き合うのならそれは最適な行いでしょう。

玄人もいれば初心者もいるような合唱の歌い手すべての人の懸念をもらさず潰してみんなの理解度をならすのには相応の時間が掛かります。そんなことをしていては、次の本番で求めるレベルまで辿りつけないかもしれません。無駄は削って最短ルートで次の本番を目指すのが賢いやり方というものです。

 

 

でも、長い期間深く付き合い、自身を磨いていきたいと思うなら。ゴールを遠く高いところに置くなら。そのゴールを目指すなら。こういった行いこそが無駄な行いといえるかもしれません。

 

だって、

 

高く! と言われたから音を高くした。

狭く! と言われたから母音を狭くした。

 

そんな行いで歌い手に養われるのは「調整力」くらいのものです。どんなときに高くすべきなのかという和声的な視点も、どんなときに母音を狭くすべきかという発語のルールもその人には根付きません。1000本ノックしたのに、次のステージに進むための経験値は溜まっていないのです。

 

言われたことはできるし、回数を重ねればそこから察した学びを他の箇所に応用できるようにもなるでしょう。けれど、自分で生み出すことはできない。

そんな状況になってしまうと思うのです。

 

 

だから、今ではなくゴールを考えるのならば。

 

次の本番に形になりきらないことがあったとしても、自分で生み出せるようになる力をつけることを、私は優先したい。

 

いろんなことに応用できる「基礎力」をこそ養いたい。

それが私のこだわりの一つです。

 

 

耳も目も肌も脳も刺激したいから、すべてに気を使う

もう一つのこだわりが全てに気を使うということです。

 

合唱はダサい。合唱の外の人は合唱に対してそんなイメージを持つ人が多いと思います。

 

それも仕方ありません。

 

合唱人自身も「合唱はダサい」と思っている人も多いのですから。

「いや、うちの合唱団はオシャレだよ」と言ったりする合唱人もいますが、それだって「(合唱は基本的にダサい。そんな普通の合唱団とは違って)うちの合唱団はオシャレだよ」ってことだと思うのです。

 

そんな合唱人のダサさのひとつの要因は、見た目に気を配れる人が少ないことにあります。

 

お揃いの衣装が悪いとは思いません。

たとえそれが、指定の白ブラウスと指定の黒のロングスカート(通称:黒ロン)でも。

 

問題は、意識の方にあるように思います。

 

合唱の本番があるから肌ケアしよう!

合唱の本番があるからジムに通おう!

合唱の本番があるから姿勢を正そう!

合唱の本番があるから身振りを気をつけよう!

 

こういうふうに努力する人がどれだけいるんでしょう。

 

 

どちらかというと、

 

「外を飾るよりも、質重視」

「飾り気なんてない方が、聞く邪魔にならない」

 

なんて声が聞こえそうです。

 

 

でも、合唱だって「聞かれるもの」であると同時に「見られるもの」です。

 

だって、歌なんです。

楽器もないんです。

体全体がお客様に見られているんです。

 

 

だから、

 

合唱の本番があるから美しくなろう!

 

が普通だと思うし、

 

 

衣装も並びも、歌っている最中に動くか動かないかも、全部音楽のうちだよ!

 

って、思います。

 

 

演奏会は耳だけで楽しむものではなくて、

 

目で楽しみ

雰囲気を肌で感じて楽しみ

演奏者が何か工夫を凝らすのを脳でキャッチして楽しむものだよ!

 

って、叫びたくなります。

 

 

理想は膨らめど

この理想が具体的にどういう形に結晶するのかはまだ分かりません。

だから、追いかけるのが楽しいです。

今年も、ちょっとでも近づけるよういろいろ試みてみます。