ゼロからさきへ

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「類友」って、最高

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「類は友を呼ぶ」

 

私の好きな言葉の一つ。

 「類友」って略しちゃうくらい、ここのところ使用頻度が高くなりました。

 

今、受講している長期の講座でも「類友」効果により素敵な出会いに恵まれました。

 

 

私は、講座を受けるなら最大限有意義な時間にしたいタイプ

講義を受けるとき、私は極力最前列に座ります。

なるべくストレスを削って、講義に集中したいからです。

 

ホワイトボードやスライドが見えるか心配するのは嫌だし、

人の頭を避けて前が見えるコースを探すなんてことをするのも嫌。

 

そもそも興味がいろいろなことに移りやすいので、他の受講者が視界に入ると

「この人の講座への集中度はどのくらいなんだろう?」とか

「この人、今すごく頷いてる。何がそんなに刺さったんだろう?」とか

余計なことを考え始めてしまうのです。

 

「ピンクの象を思い浮かべないでください」と言われてピンクの象を思い浮かべないことが不可能なように、他人を視界に入れておいてその人のことを考えないようにしようというのは私にはほぼ不可能です。

 

だから、私はいつも見晴らしのいい最前列を狙います。

 

 

そして、おそらく誰よりもモリモリメモを取ります。

多くの人は、講座を受けるとき「講座の内容を知りたい」と思うのではないでしょうか。

 

私はそれに加えて、

「講座の内容について他の分野に転用するための引っ掛かりを見つけておきたい」

「講師の伝え方を、自分が伝える立場に立つ際の参考にしたい」

などと思います。

 

経験値の荒稼ぎをしたいと欲がでてしまうので、誰よりもモリモリメモを書くことになります。

 

 

また、講師の言動に対して反応することや、質問をすること・意見を述べることに躊躇しません。

正確には、躊躇しないよう心掛けます。

 

自らも講師の立場に立つことがある身であることから、「反応」があったほうが講師はやりやすく感じ、モチベーションが高まることを身をもって知っているからです。

 

また、「反応」と紐付いた体験の方が、その内容が自分の中に残りやすいからです。

 

「反応」や「発言」をするのは、正直体温が0.3度くらい上がる感覚を覚えます。

ドキドキします。

 

それを不安感と捉えるのではなく、だから、「反応」や「発言」をしようと思うように意識づけしています。

ドキドキしながら思ったことを、私はその後何度も思い出すからです。

 

 

そんなこんなで、結果として私は、最前列でモリモリとメモを書き発言もしたりする受講生になります。

 

 

「類友」って、最高

今回この長期講座で私は素敵な人達と出会いまいした。

彼らと語ったり、自主課題を設定したりすることで、より講座が有意義なものになっています。

 

はじまりは、懇親会で最後まで残ったメンバーだったこと。

その点をとっても「類友」といえるかもしれませんが、その次の講義でもっと深いところで「類友さん」であることに気づきました。

 

その人たちも、前方に座り、挙手して発言する人たちだったのです。

 

 

「類は友を呼ぶ」はもしかしたら人間関係の原理原則なんじゃないか?

と仮設を立てて検証したいくらいに、最近「類友」という言葉が存在感を増しています。

 

「どの点が似ているからお互いに呼び合っている」と言語化できないのは、私達の見る目と言語化能力が足りないだけで、すべての人間関係は「類友」で関連付けることができるんじゃないかと空想することがあります。

「類友」はいくらでもこじつけが効くから、「類友」は無いというのは「悪魔の証明」に親しいことになっちゃう。だから逆に「類友」は絶対だとも割り切りにくく、いつも空想の域をでないのです。

 

空想していて思うのは、「類友」作用が起きるときの「似ている点」とは、それぞれが頭のなかで何を考えているかとかどういう理想を描いているかとかではなく、それぞれがどういう態度を取っているかという「見え方」にあるんじゃないかなということです。