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ゼロからさきへ

「知りたい!」「面白そう!」「なになに!?」に溢れた毎日

一般的な表記を使うよう心掛けているのは、伝えたいことがあるから。

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「信じる」と「仮定する」ってすんごく似てる。

でもぜんぜん違う。

 

この前のブログ、締めはこうでした。

人は鏡だから。エネルギーもきっと伝染すると信じて。

 

この一文を打つとき、「仮定して。」とするか「信じて。」とするか迷いました。

私は「そうじゃないかもしれないけど、あえてそうだと思って行動してみよう」って言いたかったんです。

 

それは、「今日はこの服を着よう」程度の決定でした。だから、本心、「仮定する」を使いたいなと思いました。「信じる」は私の気持ちより重い言葉のように思えたのに対して「仮定する」は軽さがちょうどよかったから。

 

でも、結局「信じる」を使いました。

それは、「信じる」の方が一般性がある表現のように思ったからです。

 

 

「用語統一」は手段を自己主張させすぎないためにある

私、文章の編集の仕事をしています。

構成を整えたり、見出しを付けたり、文章を整えたりします。その中には「用語統一」もあります。

 

「わかる」を「分かる」に

「やって欲しい」を「やってほしい」に

「〜することが出来る」を「〜することができる」に

「訊く」を「聞く」に

「宜しくお願い致します」を「よろしくお願いいたします」に

 

このように表記をある決められたルールに統一することも業務のうち。

 

会話において同じ言葉を言ったとしても言い方によって印象が変わるように、文章も「漢字を使うか平仮名を使うか」だけで印象が変わります。

 

本日は、お招き頂きましてありがとうございました。

引き続きどうぞ宜しくお願い致します。

 

 

本日は、お招きいただきましてありがとうございました。

引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

この2つの文章は3つの単語の表記方法が違うだけですが、印象はずいぶん違います。

 

「用語統一」は、多くの人がなんとなく感じ取る「印象」にアプローチする手段だと私は捉えています。

 

 

用語統一は「正しさ」ではなく「自然さ」のためにある

ですから、私は「正しさ」ではなく「自然さ」のために「用語統一」を用います。

 

道を訊く
道を聞く

 

正しい方はどちらか? と聞かれれば「道を訊く」です。

しかし、どちらを使いますか? と聞かれれば「道を聞く」です。

 

「訊く」という字は日常よく見かはしません。読者は無意識にちょっとした引っ掛かりを覚えるかもしれません。それがいくつも重なれば読み進めるのを辛く感じてしまうかもしれません。

 

そんな引っかかりや違和感をなるべく生じさせず快適に読み進めてもらうために「用語統一」を使います。

それは「相手へのお気遣い」であるのと同時に、「個性化のため」でもあると思っています。

 

 

個性化ポイントを内容に絞るため

特に経験の少ない方に、「用語統一をする(/される)と没個性的でイヤ」という人もいます。

 

その文章が、分かってもらうことよりも感じてもらうことのほうが強いなら、用語で遊んだり緩急をつけたりするのも効果的だと思います。詩や小説やエッセイのような。

 

しかし、ビジネス文書や記事のような文章には多くの場合「伝えたい情報」があります。そうして印象に残したいものがはっきりしているなら、内容で個性化を図りたいなら、伝え方は一般的にした方が効果的だと思います。

 

お気に入りのアイテムだけで揃えたコーデイネートがかならずおしゃれになるとはいえないように、文章も何もかもを欲張りすぎると全体が整わなかったり、全体の印象がボヤケてしまったりするものだなと、この頃感じます。