忙しさにくたびれた心を揺らした言葉:本の虫より
今年は「忙しさ」と戦った1年でした。
以前の記事で、「忙しい」というのは心の状態だと書きましたが、その通り「忙しく」なってしまった1年で、常に何やってんだろうって割り切れない思いを抱えていました。
ーー年に100冊以上本を読む人のことを「本の虫」というそうです。
私は本の虫4年生。読書履歴に「忙しい」という心境と戦った痕跡が現れていました。
その中から、心に染みた言葉をいくつか。
2016年、忙しかった本の虫に染みた言葉
『面倒だから、しよう/渡辺和子』
時間の使い方は、そのままいのちの使い方なのですよ
高校から大学に上がって、学校のあり方が変わって一人暮らしにもなって、私は使える時間が増えたと思った。徹夜をしたり、やりたくないこと・やらなくてもいいことを削れば時間は作れると思っていた。でも、次第にやりたいこと・やるべきことだけでも時間は足りなくなった。
その壁にぶち当たって、「どうやって時間を作るか」ではなく「限られた時間、どんな風に過ごしたいか?」と時間への考え方が変化した、そのきっかけのひとつとなった言葉。
※著者の渡辺和子さんは昨日お亡くなりになられました。最後まで教育者として過ごされたそうです。ご冥福をお祈りいたします。
『諦める力/為末大』
よく周囲との関係を断ち切れないと言いながら、自分がいないと日常が回らないと思うことで安心している人がいる。
自分の気持は自分ですら分からない。
「今、自分がやるべきことがいっぱいいっぱいで多少のムリをしないとこなせない」
そうして「自分しかできない」とか「自分に押し付けられてる」って思って、自分の置かれた環境を作った人を責めたくなることがある。そんなときに、「実は、忙しいこと=求められることと捉えて、そこに安心感を見出してはいないか?」と自分に問いかけるようになった言葉。
『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ/永田カビ』
タイトルと表紙が衝撃的ですが、内容は実直。
傷つく事で何かが免除され人が私を承認するハードルが下がり居場所がもらえると思っていた
忙しいことを免罪符みたいに使ってしまったな、それって美しくないよなと後悔した気持ちとシンクロ。「忙しい」って知ってもらうことで「余裕がない言動になっちゃうけど仕方ないよね!」って相手に察してほしくなったり、許されたいなって思いはじめたら、病みはじめのサインかもしれないって慎重になろうと思った言葉。
「忙しい」ってことは必要悪だと思っています。だから上手く付き合っていく方法を探さねばならないと模索を重ねた1年。ちょっとは成長したように思います。