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ゼロからさきへ

「知りたい!」「面白そう!」「なになに!?」に溢れた毎日

突破力は「いつもの環境」の外からやってくる

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私はクラシック畑の人間です。

小さい頃からリトミックというクラシックの音楽教育を受け、中学校で合唱を始め、大学で声楽を学びました。大学卒業後の歌ったり指導したりする機会もほとんどがクラシックです。

 

しかし、年に数度くらいの頻度で特殊なレコーディングがやってきます。

ゲーム音楽」のレコーディング。

 

映画やゲームのBGMには、ビブラートの効いた豪華な声が「Ah〜」と歌っているものがあります。その、「Ah〜」を担当します。


いつもやってはいけないことを突き詰める1週間

そんなゲームレコに取り組む時間は、私にとってとても刺激的です。

いつもなら嫌われる表現が許され・求められる場であるからです。

 

ゲーム音楽はクラシックに比べれば、極端に自由な場です。

 

歌いはじめや音が変わるタイミングを自由にズラしていい。
口の空間をさまざまに変化させて音色の変化を楽しむことができる。
発声も、立派な声から地声バリバリの声まで自由に使える。

 

ただ、最初は何も分からなくてこの「自由」が怖かったです。

 

その変化は、車が歩道を進んじゃうようなもの

その怖さを、これまで国の敷いた交通ルールに従って道路の歩道を歩いていたのに、いきなり「ルールが変わった。自由に進め。人が車道を歩くのも良し、車が歩道を進むのも良し!」と言われたような気分、といったら伝わるでしょうか。

 

歩行者は身体一つで歩いていますが、道路には車もいます。自転車もいます。

 

この3者が現在「自由」に道路を使って移動できているのはルールが明確に定められているからです。制限があるからこそ、自由を享受できているのです。もちろん事故が起きてしまうこともあります。けれどそれはルールが侵されたとき、つまり例外の事態なのです。

 

それが、いきなり「ルールが変わった。人が車道を歩くのも良し、車が歩道を進むのも良し!」と告げられたら……たいへんです。

人々は戸惑うでしょう。至る所で事故が起きるでしょう。そして誰しもがビクビクしてしまうでしょう。

 

そのくらいのカルチャーショックを受けました。

だって、今までの方法が全然通用しないんだもん。

その上、新しいルールもぜんぜん理解できないんだもん。

 


もちろん、ゲームレコではクラシックと違う形ですが表現の型みたいなものはあります。回数を重ねた今は怖くありません。自由さを満喫しています。

 

すると、いつものレベルが上がる

そんなゲームレコが毎回が刺激的です。毎回、いつもと違うものを見ていつもと違う技術と向き合っていつもと違う評価を受け、いつもと違うものを完成させます。

それは非常に新しく・楽しい経験です。

 

しかも、それがいつものクラシック畑に戻ったときに悪影響を与えるかと思えば、そんなことはないのです。

 

いつものクラシック畑に戻ったときに、自由度が上がったことを実感するのです。純粋に手数が増えているということもあります。それに加えて、ゲームレコの経験からヒントを得て、いつも行き詰まっていたことを打破することができるのです。

 

誰しもが、成功体験に囚われている

いつもの環境を見る目・取り組む姿勢というのは、その人の成功体験の積み重ねで作られます。先述の交通ルールの件もそうですよね。

こういう方法を取ると成功しやすいらしい、こういう方法では失敗しやすいらしい、ということを人は意識的に・無意識的に積み重ねています。その過去をもって今の選択を行います。

 

それが人の知恵です。

 

それは多くの場合成功を導くものでしょう。

けれど時々は行き止まりにたどり着いてしまうこともあります。

 

だって、すべてを知り尽くすことはできないから。

だって、状況は刻一刻と新しくなっていくから。

 

 

私は「成功体験」って言葉が好きです。

成功体験の積み重ねは、凛とした姿勢を生み出してくれるからです。

 

でも、成功体験に囚われていないかと不安になることもあります。

だから、今の行動を決定するのに成功体験に頼りすぎていないか、と時々、今と過去に冷静になる機会を持つことを忘れないようにしています。
それもまた、「成功体験を冷静に捉え直した時の方が成功する」という成功体験があるからですが……