ゼロからさきへ

「知りたい!」「面白そう!」「なになに!?」に溢れた毎日

「やる気スイッチ」はなんだか嫌で「やるかスイッチ」って呼ぶようにした

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あれは2日前。

前日遅かったにも関わらずちゃんと早起きしてスタジオで歌の練習をして、そのあと1時間運動して、いつものとおりに仕事をした日。

ここまでは充実してた。

 

ダメなのはこの後。

帰ったら何も手につかなくてアニメをぼーっと見た。

 

「今日頑張ったし、疲れてるから仕方ないね」

 

って言い訳をして。

 

 

それが「やるかスイッチ」を重くしてしまったきっかけだと今になって思う。

 

同じアニメを見るにしても、楽しんで見る場合と、ボーッと流すようにして見る場合が私にはある。

 

2日前は確実に後者だった。

 

大好きなアニメを見てるんだけど、なんというかあんまり感動しなくて、内容もあまり覚えていない。ほんとうにただ、流すようにしていただけ。その状態で眠さと戦いながら3話くらいアニメを見続けた。今思うと不毛な戦い。不毛な時間の過ごし方。

 

 

1回、暴飲暴食するとその後に食べぐせが残ってしまうように、これで「やるかスイッチ」を押さない癖がついてしまったのか、昨日も今日も、予定が無い時間、ダラダラ。

 

やるべきこともやりたいこともたくさんあるけど、どうも身体が重くて何もできず。

 

ブログ書くにも書きたいことが整わなくて、結局、そうなった原因について振り返る記事を書き始めた。

 

この記事読みたい人なんているのかなと思うけど、ゆうてこれはブログなのでいいことにする。

 

 

 

そうだ、「やるかスイッチ」について。

これが「やる気スイッチ」でも「やるぞスイッチ」でもなく「やるかスイッチ」なのには理由がある。

 

私は、最近「気力」とか「頑張る」とかってことを自分に期待しなくなった。

 

「こいつやる気はあるな」って思われる人と「こいつやる気もないのかよ」って思われる人がいるけど、彼らの違いって「気持ちの強さ」ではなくて、行動を起こしたり続けたりする習慣がどれだけあるかだと思うようになったから。

 

結局、人は他人の気持は分からない。思考も読み取れない。その人の行動から推察しているだけ。そして、その行動のほとんどは無意識の習慣から起きている。

 

物事を続ける習慣を持つ人はそんなに無茶をしなくても「諦めない人=やる気のある人」って解釈されるんだろうし、物事をすぐ辞めてしまう習慣がある人はその人なりに無茶して普段よりすごく頑張っても「途中で諦める人=やる気のない人」って見られちゃう。

 

もしそれぞれの思考を読み取れるんだったら、やる気を振り絞ったのは後者だけど、世の中では前者をやる気のある人と捉える。

 

そんなことに考え至ってから、「やる気」を磨くより「習慣」を磨いたほうが賢いんじゃないかと思うようになった。

 

だから、私は「やる気スイッチ」じゃなくて「やるかスイッチ」って呼ぶことにしてる。