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ゼロからさきへ

「知りたい!」「面白そう!」「なになに!?」に溢れた毎日

24時間を自分にとって最適化したら、一回、絶望した

 

小さい頃、24時間の使い方は大人が決めてくれた。

小さい頃、スケジュール管理は大人の役割だった。

私は「今」だけに全力だった。「今」が楽しければ、次の予定が楽しかったとしても、今を引き伸ばしたかった。私の判断は「楽しい」か「楽しくないか」だけで、楽しい時間がずっと続けばいいと思っていた。

けれど時間は必ず大人の手によって区切られた。幼稚園も習い事も友達と遊ぶ時間も、必ず終わりがあった。スケジュールは自分で立てるものではなかった。

 

 

学生の頃、24時間のやりくりを考えていた。

中高・大学の頃は、24時間をやりくりするようになった。

中高は片道1時間半掛けて学校に通ってて、その時間に本を読んだり宿題をしたりしておけば、家で違うことができた。見たくてしょうがないアニメは睡眠時間を削って夜中に見たりしてた。そんな時は電車の行き帰りを睡眠時間に当てた。

そうして自分でやりくりするのが楽しかったし、そうしてやりくりすればやりたいことが全部できると思ってた。「ムダな時間」を減らして「やりたいことにかける時間」を増やすのが、この頃の私の思考回路だった。

ゆうて睡眠時間を削ればいいとか思ってた。無駄な時間あるよって思ってた。

 

……そして、中高では授業中に寝たり、大学では授業をサボったりしてた。

 

今思うと、こうして大半の時間を「授業」という、私の主観では「義務だけど私にとって大切じゃないもの」に占められていたからできたことだと思う。

 

 

今は、時間の絶対数の足りなさに絶望してる。

大人になったから、24時間は好きに決められる。

幼稚園の頃や小学生の頃より思考がしっかりしているから、「あなたにはまだ分からないんだから」と大人に無条件に選択肢を狭められたりしない。経済的に独立しさえしていれば、かなりのことを自分で決められる。既成概念と戦えば仕事だってかなり自由に選べる。

 

幼かった頃より「やりたいこと」で24時間を埋めることは容易い。

 

 

大人にとってしばらくはそれが幸せだった。

「ムダっぽいこと」や「やらなくてもいいこと」はどんどん削って「やりたいこと」を入れ込んだ。入れれるだけ入れ込んだ。

 

 

そして、今は絶望してる。

 

今、平日の私の24時間はパツパツだ。寝て食べて洗濯して掃除して、そして働いて……と生活するために必須なことと、本を読んだりブログを書いたり習い事をしたり……とやりたいことで埋め尽くされている。

 

でも、24時間に埋まりきらなかった「やりたいこと」はたくさん控えてる。

「やりたいこと」は子供の頃よりたくさんあるし、その一つ一つが壮大だ。

 

幼稚園生が「もう1回おしぼりの袋を麺みたいに割いて遊びたい!」ってことを声を荒げて主張するのと同じ気軽さで、「もう1回演奏会をやって細部にまでこだわって音楽作りをしたい!」と思う。

時間も労力も必要な準備もまるで規模が違う。 

 

知りたいことも体験したいこともまだまだたくさんある。思いつく「やりたいこと」を全てやり尽くすには人生は短いんだって気付いて、一回、絶望した。

 

 

時間が圧倒的に足りない。遅ればせながら20半ばにして私はやっとそのことに思い至った。そしてやっと優先順位を付けることを覚えた。

 

ちょっと前まで、大人になるってことは「24時間を自分の思い通りに最適化できること」って思ってたけど、

今は、大人になるってことは「よりやりたいことは何か」を選別し続けることだと思うようになった。