髪を洗う。その主人公はシャンプー
髪を洗う。
その行動にお湯とシャンプーが関わることは、現代人なら誰でも類推できる普通のことです。
「シャンプーをする」って言い替えても伝わるくらい普通のこと。
でも、それを普通じゃないって捉えてみたくなりました。
だって、シャンプーなるものが一般に普及したのってたった50年前のお話。
それ以前に比べ私たちは清潔になりました。きれいになりました。
生活から匂いはなくなり、土埃を廃し、虫や菌から遠ざかりました。
でも、それって健康?
きれいと美しいは違う。
渡辺和子さんは、『面倒だから、しよう』で
「きれい」は、お金を必要とします。「美しさ」に必要なのは、心の輝きなのです。
とおっしゃいました。
私は、「きれい」より「美しい」が欲しい。
髪を洗うとき、髪を濡らす→シャンプーを泡立てる→泡を髪に付け揉み込む→髪の全体の泡立ちを確かめる→手の平に十分泡を感じたら泡を流す→泡を流しきったらシャンプー終わり。この流れです。
主役は常に泡。
私は、髪のことを考えているようで髪のことを見ていません。
髪は放って常に泡の状態を見ている。
これって本質を忘れてる。
それって美しくない。
「薬も過ぎれば毒となる」
シャンプーの洗い残しは肌荒れの原因となる。
健康が害される。
髪を洗うことの主役を髪や肌に返してあげたい。
そんなことを思う夜中のシャンプーでした。