ゼロからさきへ

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1,000を1にする大胆な引算。SAOはモーツァルトの凄さを持っている

 

先日、映画『ソードアート・オンライン オーディナル・スケール』を視聴しました。

TV版から追いかけていてたまに見返したりもするSAO。その久しぶりの新ストーリーである劇場版を見て、私はボキャ貧に陥るくらい興奮しました。

 

その興奮はいろんなところに宿ってるんだけど、一番鋭いのは「SAOが引算で作られている」ということ。

 

ものづくりのお約束

私はものづくりをする人間です。音楽だったり文章だったり講座だったり、作るものは違うけど、「コンテンツを作る」という共通点があるからすべて同じものと捉えています。そして、来る日も来る日も仕事としてものづくりをする私には、お約束の作り方があります。

 

1. 広げる

2. 一番伝えたいことを決める

3. 文脈を組み立てる

 

たとえば、このブログを書くにあたって、まずはSAOの感想を雑多に書き出します。これが「1. 広げる」。その後、伝えたいことを一つ選ぶ。この記事だったら「SAOって引算がすごいんだよ!」ってメッセージ。続いて、文脈を仕立てる。「引算がすごい!」に説得力を持たせるにはどんな情報をどんな順番に置くべきかを考える。

工程を行き来したりするけど、だいたいこの型でものづくりをすることが多いです。

 

足し算の世界は、一緒に生きてる気分になる

私なりのこの工程が、正しいのか正しくないのか、必勝パターンかそうでないかは分かりません。この工程を満たしてるかどうかは、好きな作品かどうかということを分けるわけでもありません。

 

この工程の「1. 広げる」の要素が強い作品も好きだ。

冒険や成長を時系列で積み上げる。敵を倒すところは全て見せるし、トーナメント戦を丁寧に一つづつ描写する。メッセージの純度を高めるためというより、物語のために新たな敵が出現したり新たなステージが用意されたりする。

 

犬夜叉』『テニスの王子様』『ONE PIECE』『シャーマンキング』『HUNTER×HUNTER』とかに代表されるような足し算の物語も好きだ。

 

一緒に生きている気になる。

 

引算の世界は、知人の物語を聞いている気分になる

一方、SAOは他人の人生を垣間見ているような気分になる。彼らは私に全てを見せてくれるわけではない。部分部分を語る。それはどこか、知人の物語に接しているような気になる。

 

一緒に生きてる気になる『犬夜叉』などの作品との違いが、「引算」が機能しているかどうかにあると思う。

 

「引算」とは、さっきのものづくりの工程図でいう「2. 一番伝えたいことを決める」の部分。

 

1. 広げる→足し算・積み上げ

2. 一番伝えたいことを決める→引算・要らないものを切り捨てる

3. 文脈を組み立てる→必要なものを添える

 

私は、SAOのこの「引算」の部分に惚れた。

彼らは、私の知らない経験をたくさん持っている。そのことにハッとする。そのことが私の興味を掻き立てる。

 

 1,000を1にする凄さ

たとえば、物語を書くのに「10の情報が必要」だとしよう。

多くのものを作る人は10用意して10を書く。そして、自分の想定より物語が長くなったらまた10ひねり出す。

 

しかし、SAOは、10を書くのに1,000を用意して、そこから10を選ぶような作り方をしている。

その選び方も、まず1を選んで、その1を強めるための9を添えるというような作り方。

一度、1,000を1にしている。それがSAOの強さだと思う。

 

モーツァルトの凄さに似た贅沢さ

モーツァルトの魅力は、1つの曲に魅力的な材料を惜しみなく使うところだといわれている。ある日調子が良くて3つの魅力的なメロディーを思いついたとして、普通の人はそれぞれを別の曲に仕立てる。しかし、モーツァルトは1つの曲で全部使ってしまう。

 

SAOはこれに似た贅沢さを持っている。1,000準備して、普通ならそこから100の物語を創ろうとするところ、SAOは1つの物語に仕立て上げた。

 

びっくりする贅沢さ。その分、純度が高く鋭い作品になっている。

 

それは、特にアインクラッド編で顕著だ。100層のゲームを用意し、ボス戦を描いたのは3戦だけ。2年ほどの物語をアニメでは14話で終わらせる。必要なところだけを描いたき、引き伸ばしなどない。繰り返すが、SAOの強さはこの純度にある。

 

 

そんなことを再確認する劇場版だった。