歌を仕事にするのは絶対に嫌:自分があまりに変わったから「人は変わるもの」だって実感した
「歌を仕事にするのは絶対に嫌」
子どもだった私はそう思っていました。
はじめて「歌」がお金に変化したのは大学卒業間近でした。
知り合いづたいで「レコーディングに来てよ!」というお話が舞い込んで、レコーディングの曲もお給料も何も知らないまま、身体ひとつで会場へ向かいました。
これがなければ今、私は違う方向へ歩んでいたかもしれない。
だって、このとき「仕事で歌うほうが、楽しい」って思ったんです。
経験をいただいたことすらないくせに「歌を仕事にするのは絶対に嫌」って思考停止してた私の価値観がガラリと変わった瞬間でした。
「歌を仕事にしたくない」理由はただの思考停止だったんだよね
私の思考停止を生んだ理由は具体的にいえばいろいろありますが、ひとことで述べてみるならたぶん「環境」。
「歌を仕事にすると、歌うのが楽しくなくなるよ」
「やりたい歌はうたえないよ」
「私は仕事より、仕事から離れたところで歌ってるほうが楽しい」
身近にいる経験者の言葉を、自分の身で体験した感覚のように考えていたんです。
そして、「歌うことを窮屈に感じるのは嫌だもん」って思考停止したんです。
しかし、このころ同時に歌うことへの閉塞感も感じていました。
もがきにもがいていた当時は分かりませんでしたが、今思うとそれは「理想像がないこと」によるものだったように思います。
当時目指していたのは「スキルを高め精神を高め、気持ちを込めて歌うこと」でした。
これを、本気で目指していました。
もっともらしいことを言っているようなその中身は空っぽです。
自分で定めた具体的なことは何もなかったのです。
「人に褒めてもらえるのは上手に歌えてるからだ」ってなんとも漠然とした判断軸しか持っていなかったんですから。
他人に、「もっと色気があったらいいよね」と言われれば「色気ってなんだろう?」って考えてみて、「度胸が足りないよね」と言われれば「たしかに。度胸足りないよね」と課題感を感じる。
またレッスンで先生からいただく言葉は、「信仰心が感じられなくて宗教曲に聞えない」「この歌詞の気持ち、ほんとうに感じてる?」という本質的な問いばかりが先立つものです。その指示をどういう技術を用いて実現するのかは、主に自分で見つけるものです。たしかに、そうでなくてはプロにはなれないでしょう。
けれど、私は自分でどうにかできなかったのです。
理想像が描けない。その中で必死にトライ&エラーを繰り返すけど、「どこか」にたどり着けるのか確証を持てない。改善策を立てて次に臨んでも(今おもうと、ビジネスでいわれる「PDCA:計画→実行→評価→改善」そのもの)、多少の歩みは感じられるけど、「どこか」がある方向に向かっているのではなくて、今いるところをぐるぐるしているだけじゃないかなって思ってしまう。
そんなこんなですんごく不安だったし、歌うこと嫌いでした笑。
レコーディングのお仕事が舞い込んだのは、そんな歌うことが苦しかったさなかでした。
歌を仕事にしてみると、開放感があった
仕事で歌うのはいろんなことが明確でした。
たとえば指示。
「ビブラートなしで素直なかんじで歌って」
「ミュージカル調の曲だから少し喋りに寄せて歌って」
「とにかく音程とリズムを正確に歌って」
どの技術が求められているのかが明確でした。
これが私には良かったんです。
求められるものが明確に区切られたことによって、理想像が描けるようになりました。
そうすると、今自分は何を伸ばさなくてはならないのかを常に把握できるようになりました。
自分の中に判断軸が生まれ、PDCAが効果的にまわるようになりました。
ちまちま惰性になりかけの状態で回数を回していたときとは大きな違いです。
前進感が生まれました。閉塞感は影を潜めたのです。
ほとんど嫌いになっていた「歌うこと」が、また楽しくなってきました。
すさまじい開放感を覚えました。
今まで視野の一部を隠していたことに気づいたんです。
人って変わるものだよね
「歌を仕事にするのは絶対に嫌」ってことを自分の生き方の本質くらいに重大に考えていたのに、あっさりと意識改革が起きてしまったことは驚きました。
まわりにも「どうしたの!?」ってたくさん言われたけど、一番ビックリして感情をかき乱されたのはやっぱり私自身です。
「あ、これだ」って瞬時に分かっちゃったから。
腑に落ちた瞬間、「なんでこんな単純なことに気づくのにこんな時間がかかったの!?」と自分が腹立たしくなりました。
腑に落ちた瞬間を境に違う人間になったくらいの変化だったのです。
この経験とおして私は「人は変わるもの」だという実感を得ました。
そしてそれは、ずっとこの自分で生きてかなきゃって思うより、私にとっては生きやすく感じる発想の転換だったのです。