1万人が梨を見つめる光景:「見られることに鍛えられている」淀みないプロの佇まい
ふなしーのライブには制約があります。
それは、梨汁チャージ。
その間は、ふなっしーは舞台には立てません。まとまった時間、何回か。
その時間を埋めたのは、企画とゲストでした。
ゲストがふなっしーがいない時間をトークや振付指導でつないだり
行うのがふなっしーってだけで面白い土壌ができているので、企画は何をやっても面白い。
そのうえ、芸能のプロであるゲスト陣が支えてくれるのです。
武道館に集まった梨友さんたちは熱を保ったままでいられました。(※「梨友」とは、ふなっしーのファンのこと)
見られることに鍛えられているとはまさにこのこと!
私も舞台に立つもののはしくれです。
でも、昔は極度の緊張しいでした。
どうすれば緊張しなくなるのか分からなくて、本番が大嫌いでした。
そんな状態から少し前向きになれたのはこの言葉に出会ったからです。
※主人公の高校生の女の子が、歌舞伎役者でもある先輩を見て思った言葉です。
彼はどうして他の男性とちがって見えるのか、踊る姿を見ると少しだけわかった。
舞台にいること、見られることに鍛えられていて、同じような透徹した目を相手に向けられるからだ。だから、せちがい自意識がわいてこないのだった。
「見られることに鍛えられている」
この言葉が人生の格言のひとつになりました。
受け入れるでもなく、慣れるでもなく、気にしないようにするでもなく、鍛える必要があるんだ! というのは、私にとって救いのように思えたものです。
プロとは淀みない佇まいができる人のことをいうんだ!!
ふなっしーのライブでは、ふなっしーはもちろん、次々出てくるゲストのみなさんがみんな「見られることに鍛えられている」振るまいでした。
高見沢さん、小島よしお、アントニー、神田沙也加、氣志團、アンジャッシュ児島さん……。
みなさん淀みがありませんでした。
そのトーク、身のこなし、踊り。
自分にスポットライトが当たっていないときにも彼らは自然に見えます。
役がない瞬間が全く無いのです。
それはテレビなどで目にする佇まいそのままだけれど、それを生でみるとプロだからこそできる佇まいであることが分かります。
多くの人の目の前で自然に振る舞うことは、普通の人間にとって不自然なことなのです。それをさらりと行う彼らの佇まいに、プロとは何かを感じました。